海な見つめそ――ゴンゾネに潮嘯(ちょうしょう)起って(船木拓生)
海果ては滝
呑みこむ人を呑みこむ
島人を
島人の営為を呑みこんで
地政図面に浮かんだ
ガジャ
無人島ワサ
呑みこまれた
島の昼と夜
積み重ねられた声々は
領海の底へと沈んだ
呑みこんだのは
人の知恵
「日本列島改造論」の余波
公共に囲われて消えた
見捨てられた島
青海原(おおみのはら)の懐ろへともぐって
まぐみまぐわう海陸
ウンジャネに湧くまぐまは
七島衆を想起して
ゴンゾネ礁の音色
「隔てる」と「つなぐ」の接面に
視界を限って
盛り上がる光合成は
臥蛇のオカ色
崖路を行きつもどりつ
寄せては引いて
余り波の行方
月は満ち干し細波(ささらなみ)
浮いて漂うシオの花
離島(りとう)が増えて
流れ流され突きたった
国土製護岸壁
はねて飛び散り側溝へ
溜まってざわめく夜光虫
濡れて須走る連結電飾
軌道路面にこぼたれた
星粒は天文館
黒漆の虚空にたぎり泡立つ
夜久貝の虹色涙
目無(まな)し籠(かたま)がすくいとって
ゴンゾネ礁の南風語り
<注解>
*「ガジャ」=トカラ列島の「臥蛇島(がじゃじま)」は1970年7月に無人島となった。島では灯台だけが今も灯っている。臥蛇の高麗(朝鮮)音が「ワサ」。
*「ゴンゾネ」=臥蛇島の西方沖合に広がる礁、好漁場として遠方の漁船が集まる。名前の由来は不明。
*「日本列島改造論」=1972年、田中角栄首相が就任にあたり称えた政策。出版し、ベストセラーになった。土地投機・開発ブームをもたらし、1960年代前期に始まった「高度経済成長政策」の最後を飾り上げることになった。
*「まぐみまぐわい」=「まぐわい」は「交合」、「目合い」。島の生活は「まぐみ」で成り立ってきた。
*「七島衆」=15、6世紀、東シナ海全域から、さらに北は陸奥、南は現在のタイ、マレーシア、インドネシア辺までを領域に交易した海人族。その多くが日本、高麗・朝鮮、明・中国、琉球・沖縄のどこかに出自を持ったが、それらら「国家」に属さず、その統制、拘束に従わない(ときに利用、ときに闘う)ことで商売を成り立たせた。17世紀には、現在のトカラ列島人の自称になった。
*「オカ色」=トカラの島人が海上で自分の島を眺めたとき、彼らの視覚が捉える色彩。
*「シオの花」=トカラの巫女(ネーシ)がお祓いに振り撒く海水を「シオバナ」と称する。これは定められた場所=シオクンバマで汲まれる。
*「離島」=「りとう」は1953年に成立した「離島振興法」によってできた新しいことば。「離れ島」「離れ小島」はすでに『万葉集』(8世紀成立)に載る。つまり第二次大戦後の改革によって、「孤島」として存在してきた従来の「離れ島」が「属島」としての「離島(りとう)」に変化した。(呼称すなわち観念の、この変化のうちにその後の変容の根源がひそみ、またその全現象を包むというのが我が観想。もっともこの項目に限らず「*」印の「注解」すべて、我が非客観的な説明詞である)
*「天文館」=鹿児島市随一の繁華街の名称
*「夜久貝(やくがい)」=夜光貝。螺鈿細工に使う。古代以来、螺鈿工芸(正倉院収蔵品や中尊寺金堂ほか)に使われたヤコウガイはトカラを含む南西諸島の産。大陸交易の主要産品でもあった。屋久島の名は夜久貝に由来する。
*「目無し籠」=隙間(目)なく編んだ竹籠。「目無籠の小舟を造り」といったふうに使われた。
*「南風語り」=ナオさんが節談(ふしだん)するトカラ塾の基幹番組、であることは皆さんご存じ。
海床の津
道の島々を包含し雁の浮橋を縦断した
潮の河は七島灘に分流し
ニッポン六十余カ国に天象を示現する
「よううつっちょる」
臥蛇の灯台
闇と光に透きとおり
海神(わたつみ)の祀りに遊ぶ
脈打つ白波とカツオ鳥がつがい
ウンジャネに湧く鱗火
応えたイクリが陸棚を掻き
ゴンゾネ礁は舞いのニワ
晦冥に方角を失い
山隠(やまこも)れる大和
寄せ来る年波
藻屑を奏(かな)でつづけて
シマ建てのコバタチガミ
はるかオジカミミ岬
普陀山、アマミキヨ
海界(うなさか)で噛みあう陸盤
<注解>
*「潮の河」=黒潮はフィリッピンの東の海に発生する暖流であり、世界最速の潮流として南西諸島を包んで北上、トカラ列島にぶつかって「七島灘」の難所を形成、対馬海流と紀州・房総沖海流とに分流、日本列島を挟んで、その風土、生物環境を条件付ける。
*「よううつっちょる」=トカラにおける「うつる」は「映る」「移る」「写る」「遷る」といった意味を重層させており、その核心に或る種の力の移動を含意させている。つまり、エネルギー保存の機能が働いていることを感覚しながら「うつる」と言う。
*「ウンジャネ」=私製枕詞(造語)。「に湧く」で「ゴンゾネ礁」に係る。与論島では海の神が「ウンジャン」、また「ウンジャミ(海神祭)」が沖縄島の大宜味辺にある。
*「イクリ」=海底にあって、土中深くに根をおろす岩。「いかり(錨・碇)」の語源。
*「大和」=戦艦大和は1945年4月7日、米軍機によって撃沈された。その場所がゴンゾネの北西150km。トカラ諸島に、知覧発沖縄行きの特攻機が何機も不時着している。
*「コバタチガミ」=臥蛇島を囲む岩礁の先端にひときわ高く立つ柱状の巌。トカラでは多くの場合、このような岩を祀っている。「コバ」は「ビロウ」樹。「シマ建て=島建て」は「島を最初に興した=創建」の意。
*「オジカミミ岬」=「遠値嘉島(おぢかしま)」の「みみらくの崎」は遣唐使船が大陸に向かって東シナ海に乗り出していくとき、また帰国の際に目印にした(「ああ、無事帰国できた」と安堵した)場所。現在、五島列島に「小値賀(おぢか)島」がある。同じ五島列島の福江島の西北端、東シナ海に面した断崖一帯をふくんで「三井楽(みいらく)町」があり、「みみらくの崎」と比定されている。遣唐使の廃止ならびに阿弥陀信仰の流行とともに都では「みみらく」が、日出ずる国の最西端というところから、西方浄土にもっとも近く、「須弥山」を仰ぐ聖なる場所として宗教観念化してゆく。「ミミ」は「彌々(みみ)」「御身(みみ)・身体(みみ)」に通じるところからの連想的造語。「岬」は多く海人の信仰対象となる。また、「ミサキ」は下級神として神霊の先触れ役(遣い)を務める。
*「普陀山」=遣唐使船が目指したのが明州(寧波)、寧波の沖合に舟山列島が連なって、そのなかのひとつに普陀山がある。ここは中国仏教にあって、遥かな東海にある「蓬莱山」を臨む(擬した?)聖地であり、現在も篤い信仰を集めている。
*「アマミキヨ」=琉球・沖縄を創成した女神(始祖神)。男神はシネリキヨ。
声々がかがよう瀬
「きょうはなにごとか」朝、潮見台で交響する
声帯の振動
人声が耕す一日
海で稼ぎ
オカで稼ぎ
分配のニワに落ちる
ガジュマルの日陰
垂れたひげ根
神々の神経系が囲む
オオニワの地面を充満させて
開閉する口唇は平らに
刻むオノレとヒト
ヒトとオノレの島の現世(うつしよ)
太陽と大洋の入合い
団らんの夕なぎが誘う
誰彼(たそがれ)
オノレはヒト
ヒトは他人(ひと)の声々
駈けあがる群れ星に
いよいよ増幅する
シマの口々
他人はオノレの
呼吸(いき)ぐみ合い
山芋掘りの悪口雑言は
近く遠くを吠えわたって
島の連綿を確かめる
シマの命の祝い口
落ちてきた静寂
天象がシマに蓋をした
声は閉じ
口は隠れ
オカが埋まった
と、夜が割れ
開いた常闇の海から
降りはじめた眼
眼がオカを叩いて告げた
「海な見つめそ、海に捕られん」
やがてオカの底近く
視線が沁み透る頃おい
まぶたのふるえる気配
彼誰(かわたれ)のまぶたの
またたいて
オカと海と島とヒトと
稼いで分ける
誕生と死
働くことと遊ぶことは
常世(とこよ)の領分
かがよう声々
言の葉さわいで
光のさざ波
<注解>
*「山芋掘り」=平島では夜になるとどこかで芋酎を囲んで交流が始まる。飲むほどに、必ず口喧嘩が始まる。その果てのない遣り取りを「山芋を掘る」「山芋掘り」と呼びならわしている。翌朝に持ち越すことはないが、多くは宵に新たに再生する。
*「海な見つめそ、海に捕られん」=「海なみつめそ 海にとられん」という歌詞が「記紀歌謡」にあった、と記憶する。
*「働く」=トカラのことばに「稼ぐ」はあるが、「働く」「遊ぶ」はない。「稼ぐ」は「生活する」に近い、ように感じられる。
膨張する星くずの波
割れて開いた水平線海の果ての滝
堕ちてゆく陰陽
浮き上った土地区画が
空と混ざる写実を
呑みこみつつ去った視線
生命連鎖の
頂きにして始原
始原にして頂き
接触した原始と原子
聞こえず、見えず、臭わず
知恵の総括を無口に
呑みこんで通過する
墜落中の眺望は
挑発する安全保険
侵略する仮想敵
必須絶対的の想定問答集を
生産と消費の臨界を超えて
溶融透過
その皮膚感触
洗浄され尽くし
昏れて佇んでいる
澄んだ煙霧
蝕(むしば)まれたその味わいを
なめない欲の賢明
過去世以降変わらずの
現の姿のいつまで
呑みこまれつづける眼界
網膜に影向(ようごう)する音色
流れ堕ちる星くずは
光と闇をうつして、廻り
臨み、向い、伏せて陸底
イクリが起き上がる
繰り出し続けて
潮嘯、繰り返し
どよもす波頭
逆巻きながら走る
白い切っ先
伸びてゆく潮目に立って
駆けるカンノンブネ
解き放たれた
円(まる)い横臥
真昼の天鳥船(あめのとりふね)
無人のオカ色に
灯台が燃えてそびえる
黄濁した波紋は
ウンジャネに湧く粒子
ゴンゾネ礁は膨張しつづけ
<注解>
*「天鳥船」=宙をゆく快速船。
*「カンノンブネ」=トカラから奄美にかけて、潮目に乗って早く走る舟を称した。が、今は単に快速船のこと。
ページの最初に戻る>>