欧米、風車の旅(橋爪健郎)(3)
フィン島へ
日本を出る前に、コペンハーゲン大学のベント・ソーレンセンに会見を申入れてあった。
パットは、どうせコペンハーゲンに行くのなら、途中のフィン島に新しくできたツヴィンドの姉妹校の「航海の学校」があるので、寄って行ったらと勧める。そこで、電話で連絡をとってもらう。
最初の実験校であるツヴィンド校が成功したのにつづいて、全国で同じ趣旨でつくられた学校が七校あるのだが、その一校である。
学校からウルフボルグの駅まで「公用車」で送ってもらう。「公用車」といっても、車の程度はまあ、各地の金のない住民運動体がふだん乗り廻すそれを想像してもらえばよい。
たまたまアルジェリアの二人の学生も一緒である。汽車の中で一人に、彼らがうつっている写真(筆者が撮影した)を郷里の両親のもとに送ってくれと頼まれる。頼まれて初めて、カメラを持っていることが、彼らの国の標準からすればぜいたくなことであることに気づいた。わが国では、カメラを持つぐらい、なんでもないという感覚になって久しい。
途中の乗り換え駅で、彼らはスーパーみたいな店で、パンなどを買って食事をしている。これを見て、筆者はこれぞこれ、これに限ると、以後の旅はできるだけマネをすることにした。レストランなぞに入ると、やたらに高いし、その割に量もないし、うまくない。
さすがは姉妹校
「航海の学校」のある駅で出迎えてくれた若い男の先生は、先生というより活動家という感じの人である。ゆっくり話をしたいけれど用事があるのでと車の中でしゃべる。
学校は今年(一九七八年)六月に開校したばかりである。一般の航海学校みたいに船乗りの技術や知識のみを教えるのではなく、将来船乗りになって第三世界に行った際に、単なるビジネスの範囲にとどまらないで、現地の住民や文化などの知識と理解を身につけるのが目的であるという。
話している間中、エンジンをかけっぱなしである。気になったので、なぜ切らないのかと尋ねると、スターターが故障しているので、切るにも切れないのだそうな。さすがはツヴィンドの姉妹校である!
古い病院を買い取って改造したという学校をひととおり案内してもらう。備品の机や厨房のコンロなどもみな、先生達が日曜ごとに廃品回収して修理して再利用したものだという。
たまたまこの日の夕方、学校がさるギリシャの金持から買い取ったというヨットが、初めて入港する予定になっているそうである。そういうわけで、学校は大変な興奮状態なのである。めったにない機会なので、入港の出迎え式を見学させてもらうことにする。また、スターター故障の車で港まで連れて行ってもらう。
波止場には、三々五々と、出迎えの人々が集まっている。とりわけ印象的なのは、背中に大きなニコニコマーク=万国共通のシンボルマークをつけたコートを着て、子供を引率して来ている女の先生の姿であった。やはり、ニコニコマークを貼りつけたチューバをかかえた年配の人、バナナを食べながら、今か今かと水平線を眺めている若い女性……。
バイキングの国
やがて、夕暮のせまった水平線のかなたから、かすかに三本マストのヨットが見えてきた。見るまに視界に大きくなる。マストの高さはツヴィンドの風車の塔ぐらい高いそうだから、五〇mぐらいはあるようだ。出迎えの小型ヨットを何そうも従えてしずしずと入港してくるさまは、何とも美しい。バイキングの国ならではの、本格的な風景なのだ!岸では人々が手をふり、バンドは出迎えの曲を演奏しつづけている。
船が岸壁に横付けになってから、歓迎式が始まる。トラックの荷台に仮設されたステージに、入れ変り立ち変りの挨拶があり、それがすんだあと、バンドが手づくりの曲を演奏する。なにやらビラが配られてくる。歌うための歌詞である。これも手づくり!
帆船をヌーポルグへ迎える歌
(1)
ミストラル(帆船)が今私達の街ヌーポルグの港へやってくる
街の人々の歓迎の歌に迎えられて、
彼女(帆船)は遠くギリシャのピラウスの港から長い旅をして今やってくる。
ギリシャから、地中海を通り、北欧へと長い旅をして、今ヌーボルグヘやってくる。
もし、お許し頂けるなら、かつて彼女が、ギリシャで呼ばれていた美しい名前、〝クオレル〟と再び呼びかけてみたい。
クオレル
(柿沼氏訳・2以下略)
歓迎式のあと、船内は出迎え者に開放される。帆船のヨットの内に入れる機会はまたとないので、目をサラのようにして見学する。木製の帆船というと、外洋に出ればすぐギシギシなって壊れそうな不安を素人考えに持っていたが、これはいささか近代の鉄文明におかされた考えであることがわかった。中に入ってみると、意外に頑丈な感じで、これならばという気持になる。手づくりのお菓子が出され、皆思い思いにつまむ。
日本の企業が
ニコニコマークのチューバを演奏していた人のアパートで夕食をごちそうになる。
日本でもそうだが、いわゆる団地は住民同士のつながりが薄い。彼がバンドを団地で組織したわけは、団地での人と人とのつながりをつくる手がかりにしようと、思ったからだそうである。
彼は電気関係の技術者である。ヨーロッパでは、日本の電気メーカー、ソニー、東芝、ナショナルetcのカンバンがやたらに目につくという話をすると、デンマークでも、かつてラジオメーカーが二〇いくつもあったが、日本のトランジスタラジオメーカーにつぶされてしまって、今では一つしか残っていないという。
しかし、と彼は物静かだが探みのある表情で言う。かつて欧米が独占していた工業は、今は日本に追いあげられている。しかし、その日本も台湾などの発展途上国に遠からず追いあげられてしまうだろう。そうなったら、日本はどうなるのだろう。お互いに経済を侵略するような関係は、これ以上続けてはならない。私達はお互いどういう道を将来とったらよいか、真剣に考えるべき時ではなかろうか……。彼の言いたいことはツヴィンド校や航海の学校のテーマであり、西欧社会(日本も含むか?)の良心であるようにきこえる。
人魚姫は見に来るが
コペンハーゲンのOVE(石油や原子力に頼らないで更新可能な自然エネルギー主体の社会をめざす運動組織)の紹介で、太陽熱によるビルの給湯システムの設置の仕事をしているグループを紹介される。
若い陽気な男女六人のグループである。迎えに来てくれた女性の一人は、筆者が荷物を重そうにかかえているのを見て、持ってあげましょうと、軽々とかついでくれる。男女の区別なく、屋根の上の作業などもやっているので体力は自信あるそうである。
コペンハーゲンに来て人魚姫を見に来る日本人はゴマンといるが、ここを訪れてくれる日本人は初めてだと歓迎される。
共同で生活しているアパートに案内される。着くとすぐに、彼らは皆そろってカラテのけいこに行くからと、出かけようとする。好奇心あふれる筆者はついていく。実は彼らは、来年(一九七九年)九月からアフリカ・南アメリカを旅行する計画である。そのため、語学としてスペイン語、護身術として空手を習っているそうである。
けいこ場は、ほど遠からぬ、とある大きな館(やかた)である。ところが中は幼稚園になっている。もともと、住民によって、自主的に作られたのを「公立」に認めさせたものだそうである。だから普通の館なのだ。ツヴィンド校みたいなものが出来るに先立って、こういう小さな例が幾つもあるわけで、ここでも「民主主義」というものについて深く考えさせられる。彼らがカラテのけいこをするのに使用する際にも、こういういきさつで出来たわけなので、いちいち使用願いなど出さないで、ツーカーで借りられるわけである。
物理学者も
ベント・ソーレンセン氏は、コペンハーゲン大学のニールス・ボーア研究所の研究員である。
ニールス・ボーアといえば、近代物理学の柱である量子力学の理論の成立に重大な役割を演じた一人であり、同研究部は理論物理の成立上、世界的な中心であった。
近代産業とその産物は、物理学を基礎にして発展し成立しているという解釈もできないわけではない。この研究所はそういう意味で近代をつくり出したとも言えぬわけではない。日本の研究所の類が、輸入文化の消化が第一の役割で、本質的に何ら新しいものを生み出さないのとは、少し異る。
ソーレンセン氏は、ツヴィンド校でも有名で、皆彼は良い人だと評判であった。でも、どんな人だろうと思っていた……。
研究所の待合せ場所にジーパンのオッサンが足どりも軽く階段を駆け登って来た。その人がベント・ソーレンセン氏であった。仲間に会ったような気がして、意を強くしたものである。
ソーレンセン氏は、現在エネルギー問題が専門である。原発や石油に頼らないで、風力や太陽熱によってエネルギー自給の道は可能であることを、民衆レベルで主張している学者である。
氏がエネルギー問題を手がけたきっかけは、このまま先進国が石油中心のエネルギー浪費をつづけると、石油の争奪をめぐって再度戦争につながることが予想されるからであるという。
戒厳令状態で行われた先進国主脳会談(東京サミット)の主要テーマがエネルギー問題であることからも、やはり先進国にとってエネルギー問題は、下手すれば戦争一歩手前であることはわれわれ民衆が肌で感じていることである。しかも、それを迎え撃つ「左翼」が本当に体制にとっての危機とは何かを、民衆に明らかにしているかは疑問だと思う。
フランスにて
アメリカに行く途中、ディティエ・アンジェ氏を訪問する。
彼はフランス、ノルマンディの先端フラマンビルという小さな村で、建設中の原発に反対している中学教師である。一昨年の夏、原水禁大会に参加したついでに、佐世保、川内を訪問、われわれとも一夜親しく交流したことがある。
シェルブールという港町で、アンジェ氏と落合ったわけだが、このシャンソンの題にまでなっている町の、情緒の乏しさにはがっかりした。海軍の軍港があり、原潜の基地である。
港の近くにナポレオンの騎馬像があり、イギリス方面をにらんでいる。アンジェ氏の解説によれは、ナポレオンも昔は「イギリスは敵だ」と叫んでいたが、今は海を指して「公害は敵だ」と訴えているそうである。
ラ・アーグの再処理工場は、そこから車で数十分のところにある。日本の東海工場はここの技術の丸輸入である。日本の使用済核燃料はここで再処理されているのだ。昨年の暮、日本からの再処理に反対する大きな運動が起こった。帰国してから彼らの斗いを知り、激励のアピールを送ったものである。
シェルプールでは、記者会見をさせられた。何というか忘れたが、フランス最大の新聞の支局である。主に風車に関して聞かれる。
当地の気候は風車に向いているかという趣旨のことを聞くので、それは非常に適していると答える。一般に、海に面した土地で風のない所はないのである。実際聞けば、植物も風が強いのであまり背が高くならないという。
どうして、原発予定地はこうも美しい風景のとこばかりねらわれるのだろうと思う。ラ・アーグからフラマンビルに至る台地と海岸の抜けるような青空は、日本にも北欧にもないきらめきをおびている。
フラマンビルの原発建設現場は有刺鉄線のフェンスがはりめぐらされている点で、どこも同じである。川内と同じく工事はどんどん進められているが、アンジェ氏らはここの斗争をフランスを代表する斗いとして盛り上げ、必ずや阻止できる確信を持っているという。建設によって破壊された自然は、もう元には戻らないが、そこの跡地は風車などの研究センターに利用するつもりだそうである。
どこから現われたのか、犬を連れた監視員みたいな男がフェンスの入口のドアを、これみよがしにバタンと閉めていった。
弱肉強食の国
ヨーロッパを見た目でアメリカを見ると、アメリカという国は大味な国にみえてくる。
フィラデルフィアに着くなり見た光景は、街のど真中のひき逃げであった。自転車に乗っていたらしい黒人が、十字路の真中で倒れていたのだ。二、三人が介抱しているが、多分ダメであろう。もともと通行人の多い所ではないが、それにしても通りがかりの人もあまり珍しくもない出来事のようで、無関心のようだ。しばらくたって、やっと救急車が来たが、さらにしばらくしてパトカーが来た。
ここは弱肉強食の国、西部劇の時代、二挺拳銃で武装して自衛した伝統がそのまま生きていると思った。筆者もこれは気をつけなければならないと、身をもって感じた。
市民エネルギー研究所の西村氏と連絡がとれ、ニューイングランドをフォルクスワーゲンで旅行する。インドで非暴力の平和運動をやっているパティも一緒である。
ニューヨークの摩天楼は、アメリカ物質文明のシンボルかもしれないが、何かこういう巨大さだけの物には日本でも食傷しており、何の感概も湧かない。
北欧は塵一つない状態があたりまえだが、アメリカとなると日本以上にひどい。表通りはまあまあにしても、一たんスラム街に足を踏み入れたら、そこは全然別の町である。ビルはボロボロ、道路という道路はゴミやガレキの山である。
最下層民族であるプエルトリコ人のスラムのビルを改造して、太陽熱や風車でエネルギー供給をしようという運動の本部を訪ねる。あいにく不在だったが、屋上のソーラーシステムや風車を見学する。エンパイヤーステートビルがはるかに見えるが、スラム街から眺めると、アメリカとは何かを考えさせられる。
頭を使えば
昨年、ニューイングランド地方のシーブルックに建設中の原発に反対する運動の記録映画「虹の民」により、アメリカの反原発運動のユニークさに関心を持っていたが、そこの反対組織「ハマグリ同盟」のメンバーが集団で住んでいる農場に立寄る。男女約十人ぐらいが、大きな開拓時代の家みたいな所で共同生活をしている。
西村氏の話によると、元来アメリカ人は個人主義に徹していて、住居なども一人一人が個室を持つという生活スタイルが普通だが、そういう個人主義に対する見直しみたいなものが、彼らをして共同生活をさせているのだという。デンマークでもそうだが、共同生活をしているのは男女ほぼ同数である。ここでは、足の動けない障害者も一人いる。彼は大工仕事や車の修理を受け持っている。
単に原発に反対する幹部のアジトという性格でなく、社会全体を変えていくにはどうしたらよいのか、人間関係の矛盾の発生する要素を積極的にとりこみなから考えていこうという姿勢である。
シーブルック原発の建設現場にも立寄るが、昨今の川内と同じく、敷地にはフェンスが張りめぐらされ、ダンプがしきりに往き来している。映画で見た、生き物あふれる泥沼地とはガラッと違ってしまっている。
ボストンのハマグリ同盟事務所を訪れ、そこにいた盲目の女性の家に泊めてもらう。これからどうやって運動を創っていくつもりかと尋ねると、彼女は頭をさして、アタマですよ、アタマを使えば何とかなるものですよ……。
青空講演
ボストンから更に南下した所でニューアルケミスト(新しい錬金術師)の農園を見学する。新しい錬金術とは、今までの科学技術を一種の錬金術とみなし、それに代る錬金術を模索しようという意味である。
農園には無農薬農業の畑を主に、いたる所で各種の風車、寒冷地なので各種の温室や太陽熱の蓄熱装置などの実験がなされている。それらが実用的に成功しているという意味より、見学者のための教育的な目的のためという印象である。ツヴィンドの実例を見た目には、どれも貧弱にみえる。
その日は収穫祭で各地から見学者が集まっているが、パン・お菓子・果物・ワインが無料でふるまわれている。筆者達もたらふく飲み食いした。
食事のあと、見学者にむけて、青空の下でこの農場の由来と目的についての講演が始まる。講師は女性で、ベンチに腰かけ、聴衆は芝生の上に腰を下ろして話に聴き入っている。
スウェーデンの劇場でもそうだが「教育」というと背ひじ張ったものにきこえるが、これで本来の教育という気がする。
由来についての話だが、もともと非政治的な動機で始まったのだが、それではいけないとの批判を受け、反原発の立場を明確に出すことにしたという。
今年になって、どこかの大企業が自然エネルギーランドを作って風車や太陽熱の代替エネルギーの展示センターを作るという計画を耳にしたが、そういうのは勿論、こういう海外の民衆の動きを企業的に先取りしようというコンタンである。
核実験の砂漠を通って
ワシントンで開かれたラルフ・ネーダー主催のクリティカル・マス78の集会に参加したが、呼びかけ文がふるっている。「ラルフ・ネーダーがあなたを招待する。」
ネーダーという個人のタレント性を最大限に活用したやり方で、会場も一流ヒルトンホテルときている。こういう運動のやり方を模範にすべきとは思わないが、こういうやり方も多様な運動の一つのあり方ではないかと思う。
フィラデルフィアからバスでアメリカ大陸を横断したが、行けども行けどもとうもろこし畑で、例の西部劇でおなじみの多翼式風車が林立している。
ロッキー山脈の麓の町デンバーではロッキーフラット核兵器工場に反対して引込線に坐り込みをやっているグループに会う。
山脈を越えネバダ州の砂漠を通ったのは夜であった。いくら広いとはいえ、地球上で核実験をやる愚かしさの思いにふける。満月が砂漠をこうこうと照らしていた。