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第09回 ノルドタンク社の歴史

トーキルド・ロールベック

ノルドタンク社の歴史

1962年9月1日ノルドタンク社は様々なタンク車の製造を目指して設立された。その当時、私たちの企業は生き抜くのに大変困難な時代で、皆がむしゃらに頑張っていた。思い返せばそれは結果として大変良かったことではなかったかと思う。

1973年のオイルショックの頃、我が社は6つの支店を擁していた。輸出はほとんどなかったが、デンマークに6つの工場があった。そして新たな危機が70年代末に荒れ狂った。そうのようなわけで私達の生産するものはそのような危機で会社活動を大きく脅かされることのない見通しのある生産品でなければならないという結論に至った。

タンクからタワーへ

決断は1979年12月になされ、風車発電で行こうということになった。その頃はせいぜいパイオニア達による手作り風車発電が存在した程度であった、1980年1月より私たちの唯一のエンジニアであったエリック・ニールセンは工場長ピーター・モループのもとで本格的に仕事を始めた、同年の5月既に30kW風車発電の試運転が始まった。

だが、私たちはすぐその後タワーの高さを24メートルから22メートルに短縮しなければならなくなった。都合の悪いことにタワーと翼の固有振動周期が一致していたからだ。開口部のないパイプ状のタワーはノルドタンクが風車発電用に開発したものである。当然ながら私たちがタンク車製造で行っていた薄板鋼板加工と溶接の技術が用いられた。後日私たちの考えは正解だったと確信した。今日ではほとんど(おそらく全て)のメーカーは鋼板構造のタワーを用いているからだ。それが正解であると考えた最初の会社はボーナス社であった。彼らはすぐに同じものをつくりはじめたのだ。
まことにすばらしいアイディアかもしれないが……

80年代を振り返って考えて見るとそれは緊張しワクワクする時代でもあり、かなり厳しい時代でもあった。ワクワクするというのは全く新しい世界に足を踏み入れたからであった。いろいろ面倒で大変なことが多かったわけは公的機関も風車発電に関する知識が十分でなかったということもあった。全ての者にとって新しいことであった。

風車発電の量産を始めた頃。周囲の者がどう考えていたかということをうががうのは容易である。悪口になるかもしれないが、当時の協同銀行のマネージャーは私たちの風車発電に対し「まことにすばらしいアイディアでございますな!」と満身の笑みで対応する一方、融資に関しては「一切お断り」というものであった。というわけで私たちはのっけから銀行の支援なしでスタートしなければならなかった。その当時に比べるとその後多くの点が変わった。今日ではユニバンク(当時の協同銀行)は風車発電への投資増強に努めている。

世界最初のウィンドパーク

数年間の出口のない年月の後に1982年、アメリカ、カルフォルニアのウィンドラッシュの助けがあったので、1979年から考えていた風車発電量産の道が開けた。実をいえば当時、私たちが所有していた設備でどうしてあのような多量の生産が可能であったのか、どれをとっても今では想像もつかないくらいだった。だが全てうまくはかどった。会社の従業員は30-35人、最大で200人まで成長した。加えて60人の従業員がカルフォルニアにいた。前進あるのみだった。

カルフォルニア市場に比べれば規模は小さかったが、私たちがエネルギー源としての風車発電を世界に訴えるためにデンマーク市場も同様に重要な意味があった。1985年私たちはデンマークで素晴らしい仕事をなした。世界最初の海上風車、ウィンドパークをエベルトフトの港に設置した。宣伝効果は抜群で世界中から新聞、テレビなどが数限りなく訪れた。ウィンドパークは1985年6月市長のイエンス・ラスムッセンとエネルギー大臣クヌード・エンゴーの祝辞でオープンされた。55kW風車発電が16台港の埠頭に、100kWのテスト用風車発電が陸上に新しくつくられた。当時私たちが作ったようなものは今日では多分、「海上風車」とは言えるものではないのかもしれないが、当時は海上に風車を設置するなどということは世界中になかった。

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