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第17回 最初の海上風車協同組合としてのミデルグルンデン

イエンス・ラーセン

最初の海上風車協同組合としてのミデルグルンデン

様々な試練を乗り越えてミデルグルンデン風車協同組合は複数の市民が風車の所有権を分割して持つシェアー方式で建設された最初の海上風車となった。 オルフス湾海上風車プロジェクトはうまくいかなかったし、私たちが1996年当時、ミデルグルンデン(コペンハーゲンの沖合)で20台の海上風車の建設を提案したときは殆ど実現の可能性はなかった。だが幸いにも、何としても推進させたいとする国会における政治的な勢力が強く、かつ、私たちがコペンハーゲン地域に対して強力に建設同意を働きかけたことによって私たちのプロジェクトは実現にこぎつけた。
もう陸上にはつくれない

1993年12台の300kw風車がアベドーレホルムに建てられ、1996年幸いにも7台の600kw風車がなんとかリネッテンに建てられた。どちらも地域の風車協同組合と電力会社との円滑な共同プロジェクトであった。だが陸上の建設は利害が錯綜し、首都におけるこれ以上の建設は限界があった。そこで海上に目が向けられた。国の海上風車調査報告書によれば、ミデルグルンデン(コペンハーゲン港沖合の浅礁)が適しているとあるが、そこは国か電力会社が建設するのが望ましいとされていた。風車協同組合が結成され、国会は組合が行うプロジェクトをエネルギー委員会のパイロットスタディとして認可を与えた。当初、協同組合とコペンハーゲン電灯会社は競合していたが、以前のアベドーレホルムとリネッテンの経験もあり、これからのプロジェクトは共同で進めることになった。

風車好適域のミデルグルンデン

認可の見込みがつくまで数多くの問題を解決しなければならなかった。首都に直に面する所への海上風車プロジェクトは波紋をよんだ。政治家達は「検討する」という言葉に終始するだけだったので、風車協同組合は次のようなコピーをつくって市民に訴えた。「風車は海の防風林だ」

そして、デンマーク自然保護協会が圧倒的多数でプロジェクト遂行支持、という時が遂に来た。 わずかな利害関係者、たとえばデンマーク海運組合、ゲントフテとリングビイの首長が反対し続けた。一方、コペンハーゲン市と数多くの環境団体、8000人の風車協同組合のメンバーが賛成にまわった。ミデルグルンデンのパイロットスタディは現代の風車技術を用いた海上風車プロジェクトとして最もふさわしいものに思えた。 1999年12月、エネルギー委員会は公的な委員会、全てからの認証をとった。

同時に、2001年1月電力改革が発効する時と殆ど同じ頃、全ての契約者が署名した。協会側も電力会社側も経済性が成り立つ、というのがプロジェクトの前提であった。

要点

ミデルグルンデン風車協同組合は約8000名のメンバーで、1シェアー4250クローネを平均5シェアー持っている。(一人あたり約30万円)

風車協同組合はコペンハーゲン電灯会社と共同で20台の大型風車をミデルグルンデンに建て、それぞれ10台ずつ所有する。風車は180メートルおきに弓状に配置されている。メーカーはボーナスで2000kwナセルまでの高さは64メートル、ローター経は76メートルである。ウィンドパーク全体の出力は4万kwで年間9千万kwhの発電量が予想され、コペンハーゲン市の電力消費の4%に相当する。総工費は3億2千万クローネであった。

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