第05回 乗り物は遅いほどありがたい
あれはもう二ヶ月も前になる。下田の街からポツポツ歩いたところに友人の家があり、そこでは大工のまねごとをしながら一週間居候をした。その後、車を引いて西伊豆の子浦海岸に出た。深く湾入した入り江は湖面のように静かだった。人影はなかった。小さなハマの白砂が足裏でキュキュと鳴ったのを憶えている。ハマのあちこちに漁網が放り出してあり、それが土まんじゅうのようになって盛り上がっている。脇に空の木箱が何十となく重ねてあるのは、干魚の用意だったのだろうか。
いつもながら、午後も遅くなると、ねぐらをどこにするかが気になりだす。集落をのぞいてみる。軒が密に連なっていた。サンマの丸干しが軒下で揺れていて、初冬の冷気が確かな暮らしを支えていた。
陽はまだ落ちていないが、漁師たちの家々はすでに夕餉の準備を始めているようだ。茶碗が鳴る音が路地に漏れてくる。集落を突き抜けると、国道へ上る道に出た。勾配が急に激しくなる。自動車でならどうということもない道なのだろうが、荷車曳きは息が切れる。行き交った何人かの人が、物珍しさにまず目をむき、次には、笑みを浮かべて無言の応援を送っていた。こちらは会釈を返すゆとりもない。地面とにらめっこをする前傾姿勢をとりながら、「人が歩くことなどちっとも考えちゃあいない」と、車社会に毒づく。
突然、荷車が軽くなった。振り返ると、彩りのあるスカートをひらひらさせた三人の女の子が後押ししていた。わたしと目が合うと、三人は下向き加減で互いをのぞき、笑いをかみ殺す。いたずらが見つかってしまったときのような、乾いた笑いであった。わたしは「ありがとう」とだけいって、また前を向き、横棒を腹に当てて両足を踏んばる。中学生らしい三人は、笑い転げながら後押しを続けた。服装は町方の子と変わらなのに、はにかんだような仕草が日向くさく感じられて、こちらの尖った気持を丸くしてくれた。
小さな三叉路まで来て女の子たちは、何の前触れもなく、「バイバイ」とだけ言って、逃げるようにして走り去った。「ありがとね」のわたしの声に三人はまた腹を抱えて笑う。
国道までにはまだ急坂が続きそうである。腰を伸ばして周囲を見渡すと、頭上に標識が掲げてあった。枝道と思える方角に、落居(おちい)という地があることを示している。その道は緩い下りになっていて、先にトンネルが見える。「丸山隧道」の文字が入り口の上に書かれている。黒と思えた筒穴の真ん中に、同心円の小さな明るい白が抜けている。トンネルの中は一直線になっているようだ。白には碧味が掛かっている。「海かもしれない」と、とっさに判断すると、わたしは枝道に吸いこまれていった。国道に平行して西海岸を北上している旧道だろうと、目星を付けた。
道は同じ勾配を保って下っている。荷車は自走し、指を横棒に軽く触れているだけでいい。ここを抜ければ何かいいことが待っていそうな気がした。先に進むほどに暗くなり、同時に静寂さも増していく。初めて気づいたことだが、車輪が鳴っているのだった。シュルシュルとう摩擦音が、コンクリートの壁に反射して倍音になって耳に入ってくる。エコーも掛かり、まるで何かの笛の音のようだ。車を止めて、持参の尺八を取り出してひと吹きする。どの音にもツヤがあり、まんざらではない、と悦にいる。わたしは、ドーム全体から響いてくる音色に酔い、大舞台に立つ演奏家気取りであった。
再び歩き出す。いくらもしないで、「ガタン」といういやな音がした。と同時に、車輪がコロコロと転がって先を行き、そのまま数メートル先の側溝に落ちて止まった。車が車軸から外れたようだ。房総の家を出てから初めてのトラブルである。手元もはっきりしない暗闇の中、手探りで工具を取り出して修理をするはめになった。「少しはしゃぎ過ぎたかな」と、自分を笑った。
トンネルを抜けると、駿河湾が目の前にパッと開けた。富士山は見えない。西海岸といっても、このへんの海岸線は西北に向いているから、真北に位置する山容は視界には入らないようだ。ガードレールに手をやって足元をのぞくと、切りたつ崖の下には、玉石を敷きつめたようなハマが細く長く伸びていて、穏やかな波が打っていた。
行く手を塞ぐようにして一軒の雑貨屋が建っていた。旅館を兼ねたその店やで国道に通じている道をたずねる。四〇格好の女主人が出てきて、「ここまでですよ」と、さらりと言う。何十年か前のチリ地震による津波で、これから先の道は流されてしまったとのことだ。「よじ登るような道ならあるけど、車を曳いてはどうかなあ」ともいう。
わたしは「そんなはずはない」と叫びたかった。いつか、ポーランド映画にこんなのがあった。ナチス・ドイツ軍の空爆を避けて、市民が地下の下水道に逃げこんだ。縦横に走る地下道のどの方角へ行けば出口があるのか、闇の中では分からない。やっと探し当てた明かりに驚喜して、小走りで近寄ったはいいが、光が注ぎこんでいる出口には鉄柵がはめられていた。
すでに陽は水平線に落ちかかっていた。暗さを増したトンネルの中には、だらだらと続く上り坂が待っていた。