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第13回 独りカーニバル(1)

わたしは、自宅から二キロ離れた製材所にトラックで乗りつけた。そこはゴロベエの屋号で呼ばれていて、六〇代後半の夫婦が営んでいる。村の旧家で、いつの時代かに、五郎兵衛という名前の男が分家して、一家を興したようだ。

夫婦は朝の八時には決まって仕事場に顔を出し、正午になると、五〇メートル離れたところにあるわが家へ戻る。昼食を摂ってから、午后一時に仕事を再開する。夕方の五時近くになると、機械を止めて木屑を掃き集める。それを庭先にある焼却炉に投げ入れてから、入り口のシャッターを下ろす。判で押したような日常がくり返されるのだった。若い時には残業もしたのだが、子育ても終わったふたりには、ガツガツと働く気配がうかがえない。まだゆっくりとはしていられない同世代の者からは、「ゴロベエは、はあ、隠居の身だかんなあ」と、からかわれるが、ゴロベエは、「そうでもねえよ」と、自分だけが楽をしているわけではない、という軽いいいわけを返すだけで、ニコニコしている。

わたしは、そんなふたりの仕事ぶりが分かっていたから、慌てて車を走らせた。すでに、五時五分前のチャイムが鳴った気がしたからだ。信号機もない田舎の二キロの道は五分もかからない。街道沿いに張られたトタンの壁を風圧で鳴らしながら、製材所の入り口に車を急停車させた。すでにゴロベエは掃除を始めていた。細身で長身の体をまっすぐ立てて、竹箒の先で土間に掃き目をつけている。わたしは車のドアーを開けるのももどかしく、せわしなげに大声を飛ばす。

「四寸角の柱材を、もう一本分けてくんねえかい?」

言い終えた瞬間に、どこからか「~夕焼け小焼けで日が暮れて~」のメロデイが流れてきた。さっきのは空耳で、こんどのが本当のチャイムだった。ゴロベエは手を止めて、しばらくわたしの方を見ていた。小さくて丸い顔が、いっそうすらっとした印象を与える。唇の両端に深いえくぼを作ってから、おもむろに口を開いた。

「まだ足りねえんかい?」

ゆっくりしたもの言いを返してきた。ゆとりを欠いていたわたしは、フッと呼吸が楽になったようで、軽口が口を衝いて出る。

「悲しいよ、半人前の玄人は。その場になってみねえと、材料が足りるだか足らねえだか、分かんねえだよ」

どうして、こうも滑らかに房州弁が出てくるのだろうか、と自分でもおかしかった。二〇代から三〇代にかけて暮らしていた鹿児島県の南の島のコトバも操れるのだが、もしかしたら、小学校を終える一二歳までしかいなかった房総のコトバの方がより正確に喋れるのかも知れない。

いま手がけているのは、別荘の住人が屋外に据えた水槽を、竹で覆う仕事である。水槽は、八トンのタンクローリー車が搭載していた、筒型のタンクである。山水を遠くの水源地から引いてきてタンクに貯め、それを日常の用水としている。むき出しのステンレスの反射光が、周囲の景観を台無しにしている、と注文主は感じているようだ。わたしが竹細工をするということを誰からか聞いてきて、「水槽を竹で囲ってくれないか」と、頼みに来た。

外枠を木で組んだ、長方形の箱のようなもので囲うことにした。脇も、正面も、それから天井も、すべてを窓枠のような造りにする。どの材にも溝を掘り、そこに丸いままの竹をはめこむ。遠目には、緑鮮やかな簀の子が額縁に納まり、その何枚かを組み立てて、箱にしたように見える。

窓枠にはめると言っても、ガラスや板とは違って、竹には厚みがあるから、、溝に幅をもたせなければならない。竹が細すぎると、途中でたるみがでて、目隠しにならない。竹の直径を一寸五分(四・五センチ)とすると、溝も同じ幅が必要になる。一本の角材の二面に溝を掘るから、残された芯の部分の肉身は薄くなり、強度が落ちる。材木にある程度の太さがなければならないことになる。断面が四寸(一二センチ)四方の角材を使うことにした。

周囲に取り付けてある揚水ポンプや浄水器まで囲うとなると、正面の幅が四メートル、高さが二メートル、奥行きが八メートルになる。ちょっとした小屋を作るのと一緒で、大工仕事が主になる。

わたしは竹細工は玄人であっても、大工は本職ではない。これまでに自分の住む家は自力で建ててきたが、手間賃を貰ってひとさまの細工をしたことがない。引き受けてしまったからには、何とかやれるだろうと、信じるしかない。わたしはゴロベエの前で、半人前を笑いのネタにするつもりだったが、知らずの内に泣きが入っていた。

「いいさ。何が足らねえってか?」

わたしは、ゴロベエに慰められている錯覚に捕らわれる。

「だから、四寸角が一本よ」

「カンナ掛けたのが有ったかなあ」

人のよさそうな笑顔を浮かべたまま、材木置き場を仰ぎ見た。わたしはけっして上客ではないのだが、これまでに嫌な顔をされたことがない。わたしが失火で自宅を失ってからのこの一〇年間、家作りの材料が足らなくなるとゴロベエに走り、出荷できないで眠っている半端材を分けてもらった。日ごろから、柱材や平板の類は、近くで家が解体されるという噂を耳にすると、駆けつけて行って、拾い集めてきたので、大物の材は足りるのだが、小物が不足がちであった。

ゴロベエは、立てかけてある材木の中に四寸角の材があるかないか、顔を隙間に突っこんで確かめる。三寸角ならば、普通の民家の柱材としての需要が多いし、在庫があるのだが、それよりも太いのは注文が少ない。背中を外に向けてままで、くぐもった声が漏れてきた。

「有るには有るが、カンナを掛けてあっかなあ」

「掛けねえのだって、かまやしねえよ。俺が掛けっから」

いまどきの製材所はカンナ掛けをしてからでないと、出荷できないという。手カンナではなくて、電動の自動カンナである。大工が荒カンナを掛ける手間を省けるようになった分、製材所が忙しくなった。ゴロベエはいくらもしないで隙間から首を引き抜き、

「奥の方に三本あるけんど、使えるかどうか、暗くて分かんねえな」

何か独り言をくりながら、四寸角を手前に引き出そうとする。わたしは、目の前に現われる材を待ちながら、ゴロベエの背中に声を掛ける。

「四メートル物(もん)が無(ね)えば、短けえのでも構わうこっちゃねえよ。二メートルの柱を二本取れればすむだかんよ、短いの二本で間に合うっぺから」

「これなんか、持って行っても良いけんど。これは質はいいよ・・・・・ああ、質は良いけんど、少し曲がりが入ってんなあ」

「曲がってたって、構まわねえ。どうせ、半分に切って使うだから」

「曲がりが入ってるだけじゃねえな。角に丸みが出てんだもん」

「ああ、かまわねえ・・・・・・」

そう言いかけて、わたしは自分の軽はずみに気づいた。これは自分の家を作るのではない、金を掛けて良い買いものをしようとしている人の代理で来ているのだと気づく。曲がりも丸みも容認するようないい方をした自分が、未熟者に写った。最優先しなければならないのは、客の注文に応えることである。ゴロベエも、いつものわたしではないんだ、と心得ていたから、あえて指摘したのだろう。

その材は三メートルの長さしかなく、しかも、途中に虫食いの跡があった。二メートル分を無傷で採れるかどうか、ゴロベエが巻き尺を持ってきて測った。

「うん、大丈夫だっぺ。二メートル分は採れるだ。これだら、安くしとくよ」

ゴロベエはいつの間にか、少しぐらいのキズがあっても、安価な材がいいだろうという気遣いに戻っていた。わたしを、半端材を使いこなす達人と心得ているのか、他の客には決して勧めない材を、臆することなく、「これだら、安くしとくよ」と言う。

わたしは、ゴロベエの親切心を裏切りたくないという、この場では邪魔になる感情が湧いてきて、単刀直入な断りができず、しどろもどろの言い訳を並べ立てた。ゴロベエはあっさりと虫食い材を元のところに納めてから、材木の交渉はこれで終わったという、区切りのついた顔をわたしに向けた。

「おめえんとこで建前やるって、ジエムンから聞いたけんど、オラがの母ちゃんと話してただよ、『あの男が大工を頼むわけがねえ』って」

ジエムン(甚右衛門)とは屋号である。当主はこそくり大工で生計を立てている。どこかの棟梁に付いて修業したわけではないから、本格的な住居を建てる大工ではない。納屋を頼まれたり、裏山の間伐材を使って、堀立式の牛小屋を建てたりしている。頼まれるままに、台所の棚ひとつでも作る。重宝がられて、注文が絶えない。わたしはその老大工に加勢を頼んだ。失火で住居と仕事場を失った後、住まいは何とか古材を集めて建て直した。が、仕事場がない。竹カゴを編むにしてもいまだに露天である。雨の日はカッパを着て、傘代わりに、ブルーシートを頭上に張って仕事をしている。滑稽とも思える風景から抜け出そうと、仕事場作りを始めたのだ。材木も集めてあるし、アルミサッシを始めとして、戸板類も貰ってきた。土台石も川原から運び揚げてきた。そうした段取りをすませた直後に水槽の覆いの仕事が舞い込んできた。竹切りを合わせると、ふた月にまたがる大仕事である。

仕事場作りは、竹覆いを終えてからでもよさそうなものだったが、早く作りたいという性急さから、ジエムンに大工仕事を頼んだ。家の内外装は自分でやるとしても、土台を整え、集めた材を使って柱を立てる手助けをしてもらえば、長雨が降る初夏までには屋根が葺けるだろう。それと、何よりの計算は、専門の竹仕事で効率よく金を稼ぎ、そのあがりからジエムンに払いをすませれば、いくらかが手元に残る勘定になる。時間ができたら、本でも読んでみよう。わたしは、なかなかうまいことを考えるものだ、と得意な気分になったが、同時に、何か喉に詰まるものがあった。効率よく柱材にほぞ穴を開ける、ということは頭にあったが、効率よく資金を運用することなど、考えたことがなかったからだ。

仕事場と竹覆い作りを平行させるつもりだ、とゴロベエに説明したら、納得したような、それでいて、あんたらしくない、という視線を投げてよこした。


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