錆びの記憶
(一)造林鎌
新助ジイが諏訪之瀬島から帰ってきての開口一番はこうだった。
「ニンタイ(人口)の太か島やなあ。どしこ(どれくらい)の数かは良うとは分からんが、本部落もマッコウ(真向)部落も人で溢れとったろう」
文化十年(一八一三年)の大噴火で無人島になった島が、百二十五年後の昭和の三年、開拓者で溢れているという。降灰が激しくて、地味は痩せ、唐芋も育たないと言われ続けてきた島である。オナカは〈信じられん〉という顔をして、トノジョ(主人)のみやげ話しに聞き入っていた。「何で食うとっとか、畑は役せんし(役たたずだし)、米は採れんときとる……牛やろうかなあ」
新助も不思議そうな表情を崩さない。中之島東区に住む亀ジイを案内して諏訪之瀬島に渡り、桑の木を買い付けての帰りであった。桑は湿気に強いので、掘り立て式の家を建てるにはもってこいの材料である。近ごろは鉄道の枕木としても引き合いがある。臥蛇島の奥山のはほとんどが内地の山師の手で沖縄や奄美大島へ売り捌かれてしまった。
新助は、桑の話はそれぐらいにして、もっとおもしろい話をオナカにしてやろうと声を弾ませる。
「ヤマが若っかで、太かとは何も無かが、島のどこそこを見て回ったが、畑の字(あざ)、浦の字がキ夕イやっとなあ」
「ええ、そげんや(そんなに)」
「チュウジローも居(お)れば、トータロウも居るてなふうで、賑やかやろう」
坂元仲次郎が耕していた畑が、当人が島を離れた後も、チュジロウバタケの名前として残っている。高(たかし)藤太郎が塩焚き(製塩)していた浜はトー夕バマと呼び習わされている。
「藤太郎はなあ、ヒチゲーの日に塩焚きしよったらしいど。そせば、神さまが腹かいて、ガワッパに言問うて、藤太郎の足首ばひっ掴んで離さんやった、て。藤太郎が青うなって助けを求むるが、誰も居らん。そらそうやなあ、ヒチゲーの目は”道が開ける”までは、外に出てはならんたでなあ。サンゴが沖に落ちるヤトのにき(近く)までそ引かれ(曳かれ)て行って、あやうく溺れるとこやった」
鮮度の良い外聞は何よりのみやげである。オナカは会ったこともないジイたちが目の前に浮かんできた。話を聞いているうちに、自分の生まれ島である平島にも、諏訪之瀬島から移ってきた血筋の人がいるのを思い出した。
「ゲンモクジイて言うとは?」
「よう、よう、用(もちい)源百九(げんもく)やろう。ニシ(かれ)はトマリ (入江)の名前に収まっちょっど」
オナカは、やっぱりという顔をして笑った。明治の中頃、大島の赤木名から板付け舟を漕いで開拓にやってきたゲンモクだが、あいにくの時化で島へ上陸することができない。凪ぎを待つ間、このトマリに舟を漕ぎ入れていたという。一族のうち、南隣りの悪石島に流れた者は用沢(もちいざわ)となり、西隣りの平島へ流れた者は用沢(ようざわ)となった。一字を加えたのだが、読み方が異なってしまった。新助は話しているうちに、島じゅうが開拓者の名前で埋まっている諏訪之瀬島が、町中の賑わいにも思えてきた。
中ほどが、ほぼ直角に曲がった畑をバンジョウガネバタケ(差し金畑)と名付けたり、造山作業に使う造林鎌に似て、三日月型をした畑をゾウリンガマバクケと名付けたりもしている。海であろうと、畑であろうと、字名の付け方にこだわりがない。島に人が多く引き寄せられるのはそのためなのか、と新助はふと考えた。
オナカへのみやげ話を終えてから、新助は地下足袋を履いて牛の草切りに出掛けた。背中のシタミテゴ(かご)の中で、造林鎌が右に左に転がり、縁をコツコツと鳴らしていた。
(二)くりノミ
新助ジイが区長会で鹿児島へ上った時の楽しみは、易居町の金物屋へ寄ることだった。金物は何にでも興味があるが、特に大工道具類を眺めていると、時間の経つのが早かった。舟待ちの日が続くと、朝から出掛けることもあった。店の主人も心得ていて、愛想よく迎えてくれる。他に客がいない時には、奥の倉庫の中まで案内してくれることもある。薄暗い中で主人が不思議な物を手にしてジイの前に差し出した。
「肥後さん、こげなとがあっですよ」
見せてくれた金物にジイは心当たりがない。店内の品なら大概は目に入れているはずなのに、こればかりは初めてである。
「何な?」
「籠屋の道具やっとなあ。いけな使いみち(どんな使い方)をすっとか、オイドンなあ分からんが」
店内には籠屋の道具も揃っていて、県内のあちこちから職人が買いに来る。竹割り包丁や竹挽き鋸はもちろんだが、縁巻きは用途に合わせて、サイズや形が何種類か用意されている。ジイは職人のこまごまとした道具を手にしていると、自分があたかもその仕事にたずさわっているひとりに思えてくる。知らずの間に手にした道具を動かして、仕事をしている様を頭に描くのだった。
ジイはひと通りの大工道具は持っている。ノミは刃先の幅を違えて五、六本はある。丸木舟の修理をするときに使うクギノミは小青年の時に親父に譲ってもらった。堅い板に船クギが入っていくように、あらかじめクギ道を開いておくための刃物である。打ちこんだノミを抜くために、手元に横棒が小さく張り出している。その形を新助はいつもおかしく思う。幼い男の子の持ち物を思い出すからだった。
区長会に出席しての帰りの船で、新助はこっそりと紙包みを風呂敷の中から取り出した。役場が支給してくれたわずかな手当の中から割いて、例の用途の分からない刃物を手に入れたのだ。うれしそうな笑顔をたたえて眺めた後、だいじそうに元の包みにしまった。
「ウッカタ(連れ合い)にがられる(怒られる)か知れんで、内緒にしちょらんなあ」