籠屋 九州脊梁山地を行く
出発の弁
行ってまいります。目的地ははっきりしない。「不安じゃないの?」と、問う友人もいる。が、そう問う人の数は年々減ってきている。
他界したためではない。聞いても阿呆らしいからである。
<この人は、目的なんてもったためしがない>
持ち金も不足ぎみでは、宿屋に泊ることは、ハナから考えていない。
第一、そんな移動をしたならば、もったいない。出逢える人も逃がしてしまう。
訪ねる先々で人に会うのが楽しみなのであり、それが宝ものたちなのである。
<こごえ死ななければどこだって、夜をあかすことができる>
「どんな歩き方をするの?」の問いには、ひとりの友人の証言を載せて、答えに替えたい。その証言は、『痴報 籠屋新聞』十七号(1998年2月25日 水俣特集号)に載る「酔談速記録」からの転載である。
このとき当塾の塾頭・ナオは荷車を曳いて房総半島の自宅から鹿児島へ向かっていた。話しているのは山口県岩国市在住の猿曳きの村崎修二氏である。
……岡山駅前で鉄道公安官か何か知らんが、(見守られる中で荷車の前輪を取り付け終わり、「じゃあ」て、軽く公安官に声を返したとき)、ナオさんは相手を挑発する含みが入っていたのじゃないか、て心配しよるが、そうやないんや。
あんたは、ハア、やられっぱましの人間なんじゃ。それが、居心地がええんや。
やっぱ、小栗判官なんよ。みんなに見守られて移動していくんだわ……
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